大学院社会産業理工学研究部 社会総合科学域 国際教養系ヨーロッパ分野 准教授
東風谷 太一(こちや たいち)研究室
东风谷先生は、18世纪から20世纪初头にかけてのドイツ语圏を主な対象に18世纪から20世纪にかけてのドイツにおけるビール文化について研究しています。
「ドイツの歴史を语る上で、ビールは単なる嗜好品の域を超えた重要な社会的要素」という东风谷先生。确かに「ドイツといえばビール」というイメージは広く共有されていますが、ビールがコミュニティや政治、社会形成にどのような影响を及ぼしてきたのでしょうか。
(「とく迟补濒办」2026年春号掲载/取材2026年1月)
ビールは「饮み物」ではなく「食べ物」
19世纪のドイツにおいて、ビールはパンと并ぶ必需品でした。南ドイツでは现在でもビールを「液体のパン」と呼ぶ表现が残っており、当时の人々にとってビールは、穀物から作られる栄养源、つまり「食べ物」そのものだったと考えられています。
その重要性は、労働や行政の制度にも表れています。工业化以前は、职人の労働契约书に&濒诲辩耻辞;一日に支给されるビールの量&谤诲辩耻辞;が明记されることもあったのだとか。中世にまでさかのぼると、修道院の修道士に一日13?14リットルのビールが支给されていたという记録もあり、パンと同様にビールにも公定価格が设定され、都市当局が価格管理を行っていました。
「ヨーロッパでは生水の卫生状态が悪く、そのまま饮用することが难しかったため、一度煮沸工程を経るビールは、安全な饮料としても不可欠でした。
さらに、ビールは饮むだけでなく、调理にも用いられていました。现在でもドイツに残る『ビールスープ』はその一例で、ビールを煮て塩や砂糖、卵、ちぎったパンなどを加え、滋养食として口にされてきました。こうした调理法によってアルコール分は抑えられつつも、栄养は确保され、日常生活を支える食の一部として机能していたと思われます」と话す东风谷先生。
19世纪に新闻メディアが普及すると、カフェの広告には「朝食メニュー」としてビールがごく当たり前のように掲载されていたといいます。现代日本の感覚からすると、「朝からビールを饮むの?」と惊いてしまいますが、当时の人々の生活を垣间见ることのできる、兴味深いエピソードです。
このように、ビールはドイツの歴史において、栄养や卫生、さらには労働を支える基盘の一つであったと考えられます。
ラガービールの诞生がもたらした「ビール騒扰」
ビールは人と人との関係性を形づくる重要な媒介でもありました。
东风谷先生がとりわけ関心を寄せているのも、ビールを通じて生まれる人间関係のあり方です。
「例えば、酒场での&濒诲辩耻辞;おごり合い&谤诲辩耻辞;は、単なる好意ではなく、相互扶助や信頼関係を生み出す社会的な行為でした。差し出されたビールを断ることは、関係そのものを拒否する强い意思表示と受け取られることもあったといいます」。
さらにビールを巡り、大きな事件や混乱も起きています。
19世纪のミュンヘンなどで発生した「ビール騒扰」は、ビール価格の高腾や品质低下に怒った民众が醸造所や官公庁を袭撃した事件です。その后、组织的なボイコット运动へと発展したため、现代の消费者运动の原型として歴史的に位置づけられています。
この事件の大元には19世纪初头に诞生したラガービールが関わっています。
现在、日本のスーパーなどで贩売されているビールの多くは「ラガービール」と呼ばれるものですが、これが大量生产されるようになったのは19世纪初头のことです。
正确な起源は定かではありませんが、ミュンヘンでラガービールの大量生产が始まると、それまでのビールとは一线を画す味わいで、多くの人々を魅了するようになりました。
ラガービールは、ドイツ语圏を中心に急速に普及しました。従来はワインや蒸留酒(日本で言えば焼酎に近い酒类)が主に饮まれていた地域においても、次第にラガービールが主流となっていきます。
19世纪は、万国博覧会が各地で盛んに开催された时代でもありました。
ウィーンやミュンヘンの醸造业者がパリ万博(1855年、1867年、1878年、1889年、1900年の5回开催)などの国际博覧会にラガービールを持ち込んだことで、フランスでも徐々に広まり、「フランス人はビールを饮まない」と言われていた时代に、「これは美味しい!」と高く评価されたのが、ラガービールでした。

19世紀末、ウィーンのオペラ座の近くにあったビールホール「Dreher Bierhalle」を描いた挿絵。
ビール消费の急拡大が形づくった近代国家
ラガービールが登场する以前、ビールの製法は素朴なものでした。当时主流だったのは「エール」と呼ばれるタイプで、大麦を煮て得た煮汁を、前回エールを仕込んだ樽に注ぐと、樽に残った酵母によって自然に発酵が进む――いわば牧歌的な醸造方法でした。そのため、作り手によって出来栄えにも大きな违いがありました。
これに対してラガービールは、低温管理や长期熟成といった高度な技术と时间を必要とします。その结果、品质が安定し、饮みやすさも向上しました。こうした特性が、ラガービールの急速な普及と大量消费につながっていきます。
「具体的な数値を见ると、この変化は一层明确です。19世纪初头のウィーンでは、一人当たりの年间ビール消费量は30リットル未満とされており、これは现在の日本とほぼ同じ水準です。ところがラガービールが普及すると、19世纪末には年间消费量が一人当たり130リットルを超えるまでに増加しました。単纯计算でも4倍以上の伸びになります。参考ですが、现在、世界で最もビール消费量が多い国とされるチェコでも、一人当たりの年间消费量はおよそ110?120リットルです。
こうした急激な変化の背景には、先に触れたような事件が起こった理由とも重なる、もう一つの重要な要因があります。それは、酒が财源として极めて重要な存在であるという点です。日本も同様ですが、酒类には酒税を课すことができ、国家や都市の财政を支える重要な収入源となってきました。そのためビールをめぐる问题は、人々の嗜好の変化にとどまらず、国家や都市の财政、さらには财政政策そのものにも少なからぬ影响を及ぼしていったと考えられます」。
ビール文化やドイツ近代史について、さらに详しく知りたい人は
東風谷先生の著書『ビールに憑かれた人びと: ラガービールと近代ドイツ社会』をぜひご覧ください。
歴史学が育む「他者理解」の姿势
国际教养コースの卒业生の进路は、公务员や教员が多いそう。身に付けた専门知识をそのまま生かせる职业は限られているものの、ゼミで培われるグローバルな视点や论理的思考力は、进路を问わず、生涯にわたって大きな强みになるといいます。
「歴史学を学ぶ意义は、単なる知识の蓄积ではありません。ドイツ语圏の人たちがビールの価格が高くなったくらいで、なぜ命を悬けて暴动を起こしたのか。现代の私たちの感覚では理解できないかもしれません。しかし、当时の史料を丁寧に読み解き、彼らなりの论理を辿っていくと、そこには切実な思いが见えてきます。
自分とは全く异なる価値観を持つ相手を、安易に断じず、じっくりと対话を重ねて理解しようとするプロセス、この姿势こそが、多様なバックグラウンドを持つ人々と共に暮らす现代社会において、最も求められているリテラシーなのではないでしょうか」。
このように他者を深く理解しようとする姿勢は、 “タイパ重視”、すなわち短時間で多くのことをこなすことが当然とされる現代の風潮とは、相容れないと言います。
「他者を理解するには时间がかかり、容易に答えが出るものではありません。効率性を求めていてはなしえないことも多い。一度立ち止まり、対话を重ねながら考え続けていく姿势が求められます。その相手が、目の前にいる生身の人间であっても、文字资料や図像资料であっても、本质は変わりません。こうした姿势こそが、复雑な社会を生きる上で欠かせない力なのだと思います」。
东风谷先生の専门は近代史ですが、学生の関心が高いナチ期やヴァイマル共和国期といった20世纪史も幅広く扱っています。
2025年春に徳岛大学へ着任したことを契机に、徳岛県鸣门市にあった板东俘虏収容所についても、
学生とともに地域资料の调査を进め、徳岛とドイツ、日本とドイツの交流史を歴史学の视点から掘り下げる研究を计画中です。





