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西野瑞穗名誉教授が語る 歯学部のはじまりとこれから~徳島大学歯学部創立50周年記念インタビュー ~

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徳岛大学歯学部创立50周年の节目に西野瑞穗名誉教授に、创设当时のエピソードや未来を担う学生たちへの思いについて伺いました。50年の歴史を支えた一人だからこそ知る贵重な証言を通して、徳岛大学歯学部の歩みと未来に迫ります。

(「とく迟补濒办」2026年秋号掲载/取材2026年8月)

【プロフィール】
徳岛大学名誉教授。専门は小児歯科学?障害者歯科学。1977年に36歳の若さで教授に就任、1993年歯学部附属病院长に就任。国立大学歯学部附属病院初の女性病院长。地域医疗では、香川県での障害者歯科诊疗に长年尽力し、医疗功労赏を受赏。定年退职后はモンゴルでボランティアとして活动し、同国初のモンゴル语の「小児歯科学」教科书の编纂や障害者歯科の设立に尽力するなど、国内外の歯科医疗発展に大きく贡献。

歯学部创设の思い出 学生不在の2年间、教育?诊疗环境整备に奔走

西野瑞穗先生が徳岛大学歯学部に教授として着任したのは、学部开设から1年后の昭和52年(1977年)のことでした。今のような歯学部専用の研究?教育栋はなく、古い施设での「仮住まい」からのスタートだったといいます。

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歯学部の第1期生は、最初の2年间は教养教育课程で学びます。専门课程に进むまでの学生不在の2年间、教职员は専门课程、附属病院开设の準备に奔走していました。
この时期、西野先生が担っていたのは研究や教育の準备だけではありません。歯科医疗にはピンセットや歯を削るためのバー?ポイント(切削器具)など、数百种类にも及ぶ机材が必要です。しかし、当时の事务职员には歯科特有の材料に関する知识がなかったため、自ら「用度係」のような役割を买って出て、どの机材を何本注文すべきか、どこなら手に入るかといった调达先も调べ、オーダー表も自ら作成。発注を指挥しました。现在のようにパソコンで注文すれば、翌日には必要な物品が届く时代ではありません。必要なものを一つひとつ揃え、新设された徳岛大学歯学部の教育?诊疗环境を整え、础を筑いていきました。

地域医疗への献身 休まず続けた小児歯科?障害者歯科诊疗が「医疗功労赏」に

西野先生の活动は、大学の枠を越え、地域医疗へと広がっていきます。小児歯科と障害者歯科を専门とする西野先生は、大阪大学时代の恩师が高松市歯科医师会会长を务めていた縁で、高松市歯科医师会歯科救急医疗センター内に设置される障害者歯科诊疗室の设计に携わることになりました。
昭和55年(1980年)に诊疗室が开设されると、自ら诊疗にもあたりました。徳岛大学で教育?研究?临床に従事する傍ら、毎週日曜には高松へ通い、障害のある患者さんの诊疗にあたりました。当时の徳岛大学は土曜も半日勤务だったため、月曜から土曜までは大学、日曜は高松で诊疗という生活が続き、休む间もない日々を送っていました。
西野先生によると、12月24日から1月4日以外、年间约350日を教育?研究と诊疗に捧げたといいます。
この长年にわたる献身的な活动が高く评価され、香川県の推荐により厚生省(当时)の医疗功労赏を受赏。皇居で天皇皇后両陛下(当时)からお言叶を赐るという大きな栄誉にも浴しました。

附属病院长としての改革 滨厂翱取得と阪神?淡路大震灾での学び

平成5年(1993年)、西野先生は国立大学歯学部附属病院初の女性病院長として徳島大学歯学部附属病院長に就任しました。病院長として取り組んだ大きなプロジェクトの一つが、環境マネジメントの国際規格である「ISO 14001」の取得です。
医疗廃弃物が环境に与える影响を重くみた西野先生は、全教职员にその意図を説明し、启発のためのバッジを制作、配布しました。外部审査では、蔵本キャンパス全体のゴミ集积场までもがチェック対象となりましたが、当时の医学部附属病院长(后の学长)であった香川征先生らの协力を得て、见事取得に成功しました。

nishino02.JPG&耻补谤谤;启発のために作成したバッジ

また、在任中の平成7年(1995年)に阪神?淡路大震灾が発生。即座に、歯科医师?看护师?事务职员からなる混成チームを编成し、被害の大きかった神戸市长田区の避难所へ派遣しました。现场では、歯ブラシさえ持たずに避难した人々への口腔卫生支援を行いました。そこで痛感したのが、「现场での即断即决」の重要性です。平时の业务では、谁が担当しても同じ手顺で进められるようマニュアルを整备することで、个人の経験や勘に頼ることなく、业务の标準化や属人化の防止につながります。
しかし前例のない灾害现场では医师や看护师と同じように専门的な知识を持たない事务职员であっても、その场で状况を判断し、行动を选択しなければならない场面に直面します。そこでは、一人ひとりの判断力が生死を分けることを痛感しました。
この気づきは、その后の组织运営や人材育成にも大きな影响を与えました。単にマニュアルに沿って动ける人材ではなく、状况を的确に捉え、自ら考えて判断できる人材を育てること。こうした経験は、现在も歯学部に受け継がれている「社会?地域への贡献�D―命を卫る口腔ケアの推进」につながっています。

モンゴルとの绊 教科书作りから障害者歯科の设立まで

西野先生の情熱は、定年退職後、モンゴルという地でさらなる花を咲かせます。きっかけは韓国で開催された国際歯科学会(FDI)での出会いでした。モンゴル国立医科大学(旧?モンゴル健康科学大学)の歯学部長を務めたアマルサイハン(Dr. B. Amarsaikhan)氏(モンゴルの歯科医療発展や日本との歯科医学教育?医療協力に深く関わってきた人物)から「モンゴルの歯科教育を助けてほしい」と要請を受け、平成18年(2006年)の退職翌月にはモンゴルへと渡りました。
モンゴル国立医科大学に客员教授として赴任した西野先生は、2年间にわたりボランティアとして活动しました。そこで直面したのは、ソ连时代の古い教科书しかないという厳しい教育环境でした。「学生には正しい知识を学ぶための教科书が必要だ」と确信した先生は、自らが着者であった日本の教科书の版権を无偿で提供してもらえるよう出版社に掛け合い、モンゴル语による初の「小児歯科学」教科书を编纂しました。製本の品质や写真の色再现にまで彻底的にこだわったこの教科书は、现在も第3刷まで増刷され、现地の学生や歯科医にとって必携の书となっています。
また、モンゴルにおける歯科検诊の导入にも尽力しました。モンゴルでは、日本の昭和30~40年代のように子どもたちの虫歯が非常に多い状况でした。そこで闯滨颁础の支援を受け、6ヵ月ごとに现地を访问し、5歳未満児の歯科検诊や保护者への歯科保健教育を実施。日本では一般的な「寝かせ磨き」を実演し、家庭での仕上げ磨きの方法を伝えるなど、子どもたちの虫歯予防と口腔卫生の向上に取り组みました。
さらに、当时モンゴルにはなかった障害者歯科の设立にも取り组みました。设立资金を募る际、徳岛で西野先生の诊疗を受けていた障害児の保护者たちが、「自分たちが日本で受けた恩恵を、今度はモンゴルの人々にも」と自発的に募金を集め、届けてくれました。「涙がこぼれるほど感动しました」と振り返る西野先生。その温かい善意によって、バイタルサインモニターなどの医疗机器が现地に寄赠され、モンゴルに障害者歯科が诞生しました。

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长年にわたりモンゴルとの交流や人材育成に尽力し、モンゴル国から复数の勲章を授与されている西野先生。2026年6月4日(现地时间)にはモンゴル国保健省を表敬访问し、これまでの贡献に対して、モンゴル国保健省から感谢状が赠呈されました。

【モンゴル国保健省より、本学関係者に「感谢状」が赠呈されました】
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50周年を迎えた徳岛大学歯学部へのメッセージ

P1GH4215.JPG最后に、西野先生から、これからの徳岛大学歯学部を担う学生や教职员に向けて、力强いメッセージをいただきました。
「まず期待するのは、国际交流のさらなる推進です。海外から学生や研究者を受け入れるだけでなく、徳島大学の学生や教員自らが積極的に海外へ出て、異なる価値観や行動様式に直接触れ、肌で感じながら学んでほしい。また、世界に認められる一流の研究成果を生み出すことにも力を注いでほしい。世界水準の研究成果を積み重ねることが、徳島大学歯学部、ひいては大学そのものの価値を高めることにつながるからです。そして、どれほど高度な研究を進めても、地域とのつながりを決して忘れてはいけません。「困ったときに安心して相談できる場所」として、地域の人々から信頼される存在であり続けてほしい――」。  
世界を见据えた研究と、地域に根差した医疗。その両方を大切にしながら、次の50年を切り拓いていくことを、西野先生は强く愿っています。

取材こぼれ话

歯学部创立时、西野先生は36歳で教授として赴任し、その后、徳岛大学歯学部附属病院で国立大学歯学部附属病院初の女性病院长に就任されました。女性の活跃がまだ珍しかった时代です。苦労も多かったと思いますが、それでも、「女性だからという理由で嫌な思いをしたことは一度もありません。周囲の方々に恵まれていました」と振り返ります。そして现在、歯学部には多くの女性教授が在籍し、男女を问わず活跃できる环境が整ってきたことについて、「とても喜ばしいことです」と目を细めます。自身が歩んできた道の先に、より多様な人材が活跃する现在の歯学部があることを、うれしそうに语ってくださいました。
インタビュー终盘、小児歯科や障害者歯科诊疗への情热、现在も続く学术交流协定校であるモンゴル国立医科大学との20年以上にわたる交流???次世代へと続く础を筑き、确かな结果を出し続けてきた西野先生。そのバイタリティは、どこから生まれるのでしょうか?
そう寻ねると、「やっぱり私は子どもが大好きなんでしょうね」というシンプルな答えが返ってきました。その言叶に西野先生の温かさが渗み出ています。
现在は、徳岛キワニスクラブ(キワニスクラブ&丑别濒濒颈辫;ロータリークラブ、ライオンズクラブと并ぶ世界叁大奉仕団体の一つ)の会长も务め、「子どもたちに何か役に立つことをしたい」という思いを胸に、活动を続けておられます。
西野先生が歩んでこられた道とその思いは、歯学部50年の歴史の一部であるとともに、これからの50年を担う学生や教職員へと受け継がれていく大切なバトンです。診療や教育にとどまらず、国际交流や社会贡献に挑戦するその姿勢は、徳島大学歯学部に脈々と受け継がれていくことでしょう。
 

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