今年1月中旬に、高校時代の恩師からメールを頂いた。「年賀状を送ったのですが、宛先不明とのことで戻ってきてしまいました。一昨年の暮れに母が亡くなり、年賀を失礼したので住所を確認できなかったので蔵本住宅へ送ってしまいました。そこで、徳岛大学の酒井教授のメールアドレスにてメールしております。」このメールを受け取り、非常に感激を受けた。大体、高校1クラスは40名くらいとすると、私が高校生であった30年前から数えると、その間に1,200人くらいの高校生と接している計算になる(私以前の生徒がいるのでさらに数は増える)。特になんの特徴もない私のことを覚えておいてくれた(あとでお前は個性的であったと言われたが)。さすが教師である。私も教員であるが、教員の免許を持っているわけではないし、どのように教えればよいかレクチャーを受けたこともない。振り返ってみれば、小中高校の先生は、生徒1人1人の名前をきちっと覚えていた。名前を覚えていなければ、授業を恙無く行うことは不可能であろう。出席の時に名前を呼ぶので、どんな名前の学生がいるかは分かるが、顔と名前は一致しないことが多い。反省しなければならない(だからたまに買い物をしている時に、栄養学科のバイトしている学生と偶然出くわすと、ひどく動揺してしまうことになる)。

そんな恩师から、3月に入り再びメールを顶いた。遍路巡りのついでに会うことができないかとの内容であった。もちろん断る理由はない。约20年ぶりに恩师と再会することができた。会食中に、色々な话がきけた。「滨君は骋高校でがんばっている。础君はいまでもバトミントンをしている。滨さんは小学校で???」自分の教え子の様子を、楽しげに话す姿はやはり教师像を伺わせる。「お前は○○のところが変わっていた。バトミントンでは、ドライブがうまかった。」昔のことを良く覚えていると関心をする。これだけ覚えているのだから、もしかしたら高校时代変わり者だったのかもしれない。会食を终え恩师と别れた瞬间、ばったりと1年前に卒业した狈さんと会った。偶然だが色々な话ができた。

23日は、德岛大学の卒业式であった。栄养学科同窓会长の都合がつかないので、代わりに祝辞を述べる予定になっていた。学生后援会长の福井教授のスピーチは毎回闻いても上手だと感心する。话の筋はしっかりしているし、亲から目线の话で所々感动をよぶ话も入れ込んでいる。私のスピーチは内容的に贫相であるし、また頼りない。さらに、あがり気味で话したため、话も内容がないものになってしまった。会场では、罢君が寝ている姿が见えた。あとで「寝ていただろう」と罢君に闻いてみると、「先生の话の时は起きてました」との返答。式を终え学科栋に戻り、少しすると学生さんが各教室の挨拶回りを始めていた。研究室の4年生から色纸をもらい见てみると、1人の学生が、「また、1日中热心に研究をされる姿に刺激され、自分も諦めず勉强を続けることができました」と书いてあった(お世辞であるが)。とても高校时代の恩师の様にはできないかもしれないが、自分の背中を见せることで来年度入ってくる学生さんに研究を教えることができればと思う。

<平成27年3月25日:酒井>

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