
徳岛大学留学生センター
上田 崇仁 うえだ たかひと
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日本植民地における
ラジオを利用した日本语讲座に関する研究の第一人者として
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植民地を统制する「国语」教育
日本が朝鲜半岛などを植民地とした时代、施策のひとつとして「国语」(日本语)教育がありました。地域ごとに编集した教材で、日本语の授业を现地の子どもたちに受けさせていたのです。また「国语」(日本语)教育にラジオを使っていた记録もあります。当时ラジオは高级品で、一部の人しか所有していなかったにもかかわらず、何をねらって放送を利用した日本语の教育を行っていたのでしょう。
上田先生はアジアにおけるラジオの「国语讲座」、中でも朝鲜半岛における「国语讲座」の研究に関しては第一人者です
『朝鲜にラジオが登场したのは、内地に遅れること约2年、1927年のことであった。ラジオ语学讲座の歴史はラジオ放送の歴史とほぼ一致しており、その中で「国语讲座」がどのように展开したのかに兴味を抱いた。
当时のラジオ年鑑を调べてみると、朝鲜に限らず、満州、台湾、シンガポール、中国(大陆)でも「国语」や「日语」(注)讲座が放送されていることが分かった。また、南方占领地向けのテキストが放送博物馆に所蔵されていることも分かった。当时のラジオプログラム栏の掲载されている新闻资料も手もとにあり、プログラム栏を一日ずつ确认していく作业を开始した(2000年11月)。ラジオプログラム栏の全时日の确认作业は、现在でも完了していない状况である(2005年1月)』(上田先生のホームページから引用)
(注)「日语」は当时资料の引用。中国や韩国では今でも「日本语」よりも「日语」を一般的に使っています。

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先生は时间を见つけては韩国や日本各地に出向いて、当时の教科书やラジオ讲座のテキスト?録音などを探しています。当时朝鲜半岛の学校で使用されていた「国语」(日本语)の教科书については、2006年末にようやく全てを集めることができましたが、放送に関しては资料が少ないのが现状です。
「军事的?政治的意図は别にして研究しています。でなければ、话がわかりにくくなりますから」
当时の「国语」(日本语)教育には、その语汇内容を除けば现代にも活かせる技术、メソッドが随所に见られるそうです。
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先人の実绩を今に活かす
上田先生は、徳大の本部栋南侧に昨年オープンした、日亜会馆二阶の留学生センターで、日本语教育の担当をされています。ここには県下の大学で学ぶ予定の留学生が日本语の勉强にやってきます。学生もいれば母国での现役の教师や研究者もいます。徳岛の大学で勉强を始めるにあたり、半年间の集中授业で、最低限生活に必要な日本语を话せるように教えています。
取材の日も、エジプト、バングラデシュ、タイ、ミャンマー、ラオス、インドネシア、フィリピン、ベネズエラ、中国からの留学生が勉强していて、さながらアジア?中近东の代表者会议のようでした。
先生は絵カードや日本语の书かれたカードを使い、难しい日本语のニュアンスの违いなどを身振り手振りを加えて教えていました。
戦时中の「国语」(日本语)の教科书を见ると、内容は植民地化の进行とともに変化はしていますが、実に効果的に教えていることがわかります。日本语をほかの言叶(学习者の母语や媒介语)を使わずに教えるために、例えば最初は、相手が知りたい、あるいは身近な言叶から始め、だんだん抽象的な教えたい言叶を教え込んでいく、というような教育方法です。
「当時の教科書を作ったのは、いわば私の同業者です。この時代に生きた教師の受けた政治的な理由による制限、不自由さにもどかしさを感じて切なくなります」 昨年、勉誠出版より出された『戦争?ラジオ?記憶』貴志俊彦?川島真?孫安石編)に、執筆者の一人として「朝鮮でラジオは何を教えたのか」との題で出稿。ご自分のホームページにもできる限りの資料の提示をし、収集の依頼と共有化を図っています。
今、日本で学んでいる留学生の大半は、过去、「国语」(日本语)が强制された地域からやってきているのです。学生の颜を见るたびに、当时日本の支配下で「国语」(日本语)を强制された人々の苦痛を考えます。そして戦争の统制下で苦労した当时の研究者や教育者を思いながらも、そこで试行错误して积み重ねられてきた研究を、现代に活かして、言叶が平和のために、良いコミュニケーションのために使われることを愿って研究を続けています。
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研究スタッフ、研究室の様子
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[取材] 127号(平成19年4月号より)
